60年前に秋田県の八郎潟近くで生まれた。
18歳で上京してあこがれの東京暮らしを始める・・・・。
仕事も結婚も全ての街暮らしが順風だった30歳ごろだった。
夫は何を思ったのか・・「山口の田舎に帰って暮らそう・・・」と突然言い出し・・・
考えたあげく・・・泣く泣く夫について山口の田舎へ行くことになりました。
夫の実家は、日本海に面した30戸あまりの寂しい漁村。
わずかばかりの棚田を耕し漁業もやる・・・忙しいけど儲からない暮らしを両親がしていました。
そんな中で零細な家業を継ぐかたちで私たちの田舎暮らしがはじまりました。
目の前に広がる海に消える夕陽が無性に悲しい日々の暮らし・・・
後ろ髪を引かれる思いはいつまでも消え去らない・・。
なれない土地と初めて会う人々・・・
そんな日々の暮らしの中で数十年が経ち・・・
今ではなんでもない漁村の風景や人が日常になり、慣れかあきらめか分からないが・・
ふとした時、それがセピア色だがとても素晴らしいと感じるようになりました。
今では死んだ両親が残した田んぼは草薮になったが・・・
私たちの暮らしは健在で、それにささやかながら漁師民宿もしている。
そこらのなんでもない風景を街の人たちにもおしえたくて・・・。
夫が、ある日つぶやいた・・・
「旅人が旅をしなくなった・・・それは旅人が我が家に来るから」。
田舎で暮らしても東京の饅頭の味は今でも忘れることができない・・・。
そんな平穏な日々の田舎暮らし・・・
身勝手な俺だが・・・
62回目の誕生日に妻の気持ちになって書いてみた。