穏やかな日が3日も続いた。漁村の春が近い。
漁師は、朝から夕方まで定置網のメンテナンスに忙しかった。
冬の連凪は滅多に無い。だからこの時こそと海上の作業に精を出す。
・・・疲れが隠せない年になった。
一本釣りや潜水漁などの個人漁は、自分のペースで漁ができる。
疲れたら休めばいいし、頑張りたいときは自分の判断で多少の無理をする。
体力や気力は若いときから個人差がある。高齢になるとその差が徐々に大きくなる。
漁業界にも良きライバルや標準記録が何となくあり、自分の実力を周りで感じる。
漁村には70歳を過ぎても、現役で釣り漁や潜水漁をしている人が何人かいる。
それができる原因は一つだけ、元気の言葉より病気にならないことである。
魚が獲れないことで極度のストレスが溜まる漁師は少ない。
仕事柄「今日が駄目でも明日がある」と少しは思える職業だから?
それでも不漁が何日も続くと人の気持ちは落ち込む。
ここ数年、漁師を辞める人が多くなった。
原因の多くは、高齢で自分の体力限界を感じたから。
一人船だと、体の異常を感じても誰も助けてくれない。家族はそれを心配する。
「父ちゃん、そろそろ船を降りたら・・・」と言いたいところだがそれも言えない。
仕事が生きがいの人に、その言葉は酷なような気がするから。
漁師の引退は、カリブ海で漁をした老人の物語と同じ気がする・・・
今の漁師は何日も魚が釣れないと、人が倒れる前に経費で倒れる。
手漕ぎの船に風を受け、弁当と水を積み、シンプルな道具で漁ができる時代と違。
気持ちや想いより、国民年金が年老いた漁師を支える。
徐々に衰える体力。弱音が本音に変わるとき世代も変わる。
それにしても・・・、ロマンで飯が食えない時代になった。