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2011年 11月 30日

鳴き砂の浜辺・・・

バスは気仙沼の駅を出ると鳴き砂の浜辺がある唐桑半島に向かった。
窓の外について案内人の説明はなにも無い、・見ただけで何があったかを想像ができる。
この先も自分で感じたことや見たものを自分で感じよう。
ジャーナリストでもライターでもない遠く離れた海辺で暮らす一人の人として。
それがこの地に来た俺の意味だと思ったから。

バスは山道をしばらく走り海辺に出る。映像でいつか観たあの変わり果てた風景が現実に広がる。
海辺の家は基礎だけを残して何にもない。集められた瓦礫の大きな山が何があったかを物語る。
漁港の船着場は重なり合って割れている。海面すれすれまで桟橋が沈下している。
それでもワカメ養殖?に使われる新しいブイやロープや砂袋が山に積まれていて、
動きだした漁船は限られた場所を探して留めてある。海辺に暮らしが戻りつつあると感じた。

鳴き砂の浜辺は、津波で壊滅したいくつかの集落の先にあった。
そんな中、ほんとうに俺は鳴き砂の浜辺に行ってもいいのかと複雑な心境になった。
気仙沼の砂仲間が遠くから来た私たちを、心から迎える気持ちとして素直に受け止めることにした。
真実は変えることができない。そして過去も。

砂浜はきれいに掃除されていた。
砂は小雨で少し湿っていたがそれでもキュッ・キュッと音をたてて鳴いた!!
子供のような無邪気な音に聞こえた。
地震と津波で浜は1mくらい地盤が沈下して狭くなったが、砂の鳴きは以前と変わらない。
砂の汚れも感じられない。大きな波にも耐えて鳴き砂は今も健在であった。

仲間と浜掃除をして鳴き砂の浜辺をあとにした。
帰りは来た道と同じ道だが、みんなの気持ちが少し変わっていた。

by hama-no-koya | 2011-11-30 17:59 | Comments(0)
2011年 11月 29日

大船渡線

満席の新幹線「はやて」は一ノ関駅に到着した。
乗客の半分近くが降りるので不思議に思うと、その足は一定の方向に流れている。
乗客の目的は世界遺産の平泉にあった。それを横目にして列車を乗り換える。

大船渡線は、2両編成でドアは寒冷地仕様の開閉ボタンが付いていた。
俺の田舎の列車には無い物で、街で暮らす人も北の旅ではこのドアに戸惑うらしい?
ローカル線の旅は便数が少なく、各駅停車で移動に時間がかかるがそれだけ出会いも多い。
列車は山あいをくねくね走る。車窓の風景や車内言葉が東北らしくなってきた。
途中で北上川を渡る。鉄橋を渡る列車はどの路線でも絵になる。
なぜか鉄道写真の定番は橋梁を走る列車が多い。
そんな大船渡線は、津波の被害で気仙沼止まりになっていた。

駅前の定食屋に入る。昼飯に何を食べるか久々に迷った。
通常はさりげなく周りを見渡して、その土地の旨そうなものを注文する。
今回は、被災地の気仙沼を意識してか食欲の選択に迷いがあった。
定番は気仙沼ラーメンだろうが、海辺の町を意識して「サケの塩焼き定食」を食べた。
これが大正解で、食事と言うより御当地を食べる実感でお腹中と心が満たされた。
もちろん、ご飯もサケも新鮮で美味しかった。

食堂のおやじさんが厨房から出てバックパッカーの俺と、他の一人にさりげなくヤクルトを置いていった。
被災地の先入観があったが、遠くから来た旅人は暖かい町にやってきたと素直に感じる。
ふとしたときに、ふと感じるさりげない優しさが人のこころに沁みこんだ。

駅前の「鳴き砂の浜辺行き」のバスが出る集合場所に行くと、「茂刈さ~ん!」の声が・・
ナショナル・トラストの女子○○さんで、一年ぶりに被災地気仙沼で会う思いがこみあげてきた。
抑えることの出来ない感情で、気持ちは無意識のながれでハグだが・・・
握手でお互いの再会をよろこんだ。

旅の目的地気仙沼は、「全国鳴き砂サミット」に参加する旅。

by hama-no-koya | 2011-11-29 18:10 | Comments(0)
2011年 11月 28日

東北新幹線「はやて」

「はやて」は東京駅を出ると御徒町あたりで地下に潜り、
上野駅に止まって日暮里あたりで地上に出る。

何年か前、仲間が脱サラして御徒町駅のガード下に夢だった焼き鳥屋を開業した。
客も入り繁盛していたが・・・ある日、「新幹線が出来るので立ち退いてくれないか?」をせまられた。
焼き鳥屋のおやじは泣く泣く店を閉めた。
山の手線と京浜東北線の電車が頭の上を通る度にゴトゴトと音がする心地よい店だった。
新幹線ができて多くの人が便利になったが、開発の影で一人の男が泣いた。

列車は地上に出る、左手に小高いなだらかな丘がつづく。俺はその丘の上にある街が好きだった。
商店街の名称を銀座とよび、富士山が見える坂道が富士見坂で、ダンゴ坂もある。
墓地も多いいが煎餅屋もある。 そんな街に憧れて?仲間が電気屋さんの二階に住み着いた。
新幹線から見えるなんでもない東京の風景。
空白の30年で車窓が思い出のスクリーンに変わった。

川を渡ると埼玉になる。 河川敷にも思い出がある。
業界草野球の決勝は東京ドームだが始まりはいつも戸田の河川敷で、俺たちはそこで終わる。
下手なテニスだが、会社仲間の女子と打った楽しい思い出。

「はやて」が福島に入ると俺の車窓の思い出は福島編になる。
毎年15~20回、いわき市~相馬~福島~会津~郡山~白川~東京のコースを3年?も回っていた。
だから俺は、福島県には詳しくそれに好きな県でもある。

浜通りの浪江は今では、発電所の事故で行くことが出来ない。
請戸の河口には、この時期になると数千匹のサケの大群が押し寄せていた。
夜ノ森の駅につづく桜並木は、春になると見事な桜のトンネルになる。
浪江の定宿は「百足屋」で、いつも新鮮な魚を食べては故郷の魚を思い出していた。

新幹線の窓から見える風景は、時を超えて思い出に変わる。

by hama-no-koya | 2011-11-28 05:16 | Comments(0)
2011年 11月 26日

東北・秋田新幹線「こまち」・・・

東京駅21番ホームには指定の「はやて103」はまだ入線してい。
向かいのホームには「はやて」と「こまち」の連結車両が入線していた。

妻の実家は秋田なので以前、新幹線「こまち」に乗りたくて秋田への旅に出た。
萩を夜行バスで夕方出て、翌日の朝に東京駅で秋田新幹線の「こまち」に乗るはずだった。
「こまち」への興味は、在来線標準軌道や大曲・秋田間の逆送?などがある。

ところが、大雪で途中の東名高速「米原」付近で夜が明け、バスは数時間の立ち往生になった。
バスの乗客は十数人だった。最初は他人同士なので会話もなかった。
動く見通しがつかないので、運転手から非常食の乾パンと温かいコーヒーが配られた。
そのあたりから乗客同士の気持ちがほぐれ、仲間会話ができるようになった。
「旅は道ずれ、世は情け」昔の言葉が現代にも当てはまる。あきらめのほんわり空間になった。
東京での会議やビジネスや旅の予定が全て流れたことに、乗客の誰一人文句を言う人はいない。
夜行バスの乗客は、旅慣れした人が乗るのか?狭い車内だが世界中の旅話が聞けた。
結局バスは、昼過ぎに米原駅で乗客を降ろしリタイヤをした。
その先も大雪なので、「こまち」をあきらめ、米原駅から山口の我が家に帰ることにした。
だから「こまち」に妙な関心と想いがある。

「こまち」は途中の盛岡から在来線を走る。
パリのモンパルナスからブレストまで、営業運転最高速のTGVアトランチスに乗ったことがある。
パリの郊外から高速運転がしばらく続くが、いつの間にか在来線を走るようになる。
終点のブレストでは、昔ながらの行き止まりホームに入線する。
新しいものと古いものが共存するフランスの開発は鉄道だけではなかった。
パリの街並みもミラボー橋もブルターニュの海辺もそうだった。

「なすの」が折り返し「はやて」になるが車内清掃が終わる。座席の配列が自動で前向きになる。
一昔前は、人手で整列をしていた。
東京駅を満席の「はやて103」は、定刻の7:56分に北に向かって動き出した。

by hama-no-koya | 2011-11-26 07:43 | Comments(0)
2011年 11月 24日

東京駅

総武線の浅草橋から山の手を乗り継いで東京駅に着いた。
東北新幹線で一ノ関まで行くために。

大きな駅で乗換えをスムーズに行うためのポイントは、
列車の乗車券指定が何番線の何号車であるかを、現地で早く見極めること。
移動は、急ぐ場合は人の流れの本流に乗り、逆行するときは壁際通行する。
ホームは駅長室に近い順に1・2・3番線で、号車は北→南・東→西の先頭車両が1号車で、
東京発の東海道新幹線と東北新幹線の先頭車両の号車番号はちがう。
多くの駅や列車が旧国鉄時代の原則的なものが今でも残る。

一昔前、スキーに行くため、いつもぎりぎりまで仕事をして自由席列車の座席確保に急いでいた。
指定ホームまでの到着時間は、夜行列車の座席か通路の乗車分け目で、雲泥の差になるから。
あの時代は、道路より鉄路が圧倒的に便利な庶民的移動で、多くの人が列車を利用していた。
時代が変わり新幹線ができ、国鉄からJRになっても、電車の移動は乗り物の楽しさがある。

東京駅の素晴らしい。赤レンガの丸の内側と近代的な八重洲側が同時進行している。
古き良き遺産を残しながら、近代開発の増改築プロセスが理想的でかつ機能的であること。
近代遺産の赤レンガ駅舎は、復元工事も進み来年には完成する。
八重洲のエキナカは、各地で衰退したアーケードが復活したようで、特にコンシェルジュがいい。
そんな東京駅は、巨大な生き物で絶えず成長している。
見方をか変えれば、田舎の開発にも重ねることが出来そうだ。

東京で暮らしていた頃、東京駅は東海道線の始発駅と国電の駅。
上野が東北と上信越で、新宿が中央線の始発駅だった。
全ての線が東京駅で乗り換えられるプロジェクトは、JRならこそできること。
東京駅は人の心臓のようなところ。大動脈や静脈が集まり絶えず人がながれる。

俺は鉄ちゃんでもなく、撮り鉄でもなく、乗り鉄でもない。
そんなこんなで勝手な想像をしながら、朝立ちの東北新幹線に乗る一人の田舎者。

by hama-no-koya | 2011-11-24 17:32 | Comments(0)
2011年 11月 23日

早起き・・

ワシントン・ホテルの目覚めは4時半だった。
いつもの漁師暮らしが体にしみ込んで早起きが癖になったから。
二度寝をすると気持ちが良いが、おそらく八時前の東北新幹線に乗り遅れるだろう。

秋葉原界隈は若い頃に数年住んでいたので、勝手知る我が家のようなもの。
あまりの進化に驚いた。五時半にホテルをチェックアウトして、小雨の街を散歩する。
散歩コースは思いつきで、秋葉からジグザグ歩いて浅草橋の駅で電車に乗る。

秋葉駅周辺は、40年前が想像できないくらいの変化。浅草橋周辺はあまり変わっていない。
夜明けで人が歩いていない。下町の朝は俺が暮らす漁村に比べ遅い時差の夜明け。
神田明神や鳥越神社の氏子が暮らす町。今もなんとなく江戸の文化を感じる。
今は夏祭りの反対にある季節だろう。とても静かな朝。

2時間余りの散歩で昔といちばん変わっていたのは、芝生が美しい三井記念病院。
40年間変わっていないのが、浅草橋駅西口だった。
駅構内で唯一変わったものは自動改札のゲート。しかし位置や個数は昔と同じ。
浅草橋駅の西口に着いたとき、なつかしさが脳裏で再生され妙な落ち着きを感じた。
ガード下が入り口。無駄がなく飾りもない。分かりやすい機能的なデッサン画のような駅。
駅は、旅の始まりで中休みでもあり終わりでもある。

いつか国電の名称を変えようとする人たちがいた。
長年親しまれてきた都民の足と、大きな震災や戦災を乗り超えた愛称。
大都市東京が早期復興できたのは、移動手段の国電があったから。
そんな駅から国電に乗って、新幹線の東京駅に向かった。

開発と保存は「お父さんとお母さんのどちらが好き?」を子供に聞くようなもの。
どちらも大切。その判断をする人で決まる時代になった。

by hama-no-koya | 2011-11-23 13:19 | Comments(0)
2011年 11月 22日

夜明け・・・

目がさめると寝床まで波の音が聞こえる。
海が小時化なので漁は出来きそうもない。夜明けの出港をあきらめる。
午前中は、陸に上げた定置網の修理をする。

漁村から萩市を経由して、新山口の駅まで車で1時間と30分は妻の助手席。
車内はいつものように言葉はなく、たまの会話は「どっちに曲がるの?・・右!」それだけ。
お互いに暮らして40年になるが、それが夫婦の日常になった。
誰が決めたか11月22日は「良い夫婦の日」。

新幹線に乗ってまずすることは、足元のザックからウイスキーの小瓶と本を取り出すこと。
飛行機でも同じで足元に荷物を置く癖が俺にはある。新幹線は足元が広いからそれができる。
ひとり車内の暇つぶしは、読書とそれに飽きたら角瓶ポケットとスポーツ・ドリンクを交互に飲むこと。
「女性にはできない旅男の特権」みたいなもの!?

俺の旅本のお奨めは、女性用は「インパラの朝」で、男性用は「行かずに死ねるか!」。
「行かずに・・」(石田ゆうすけ)は車内文庫本として書かれたようなもの。
身近でわかりやすい文章表現が旅の携行本として、一人旅に元気をつけるから。

そんな感じで進化した街、秋葉原ワシントン・ホテルに着いた頃は街明かりの世界だった。
エレベーターのカード・キー使用に戸惑い、俺は田舎者だと自覚した。
ホテルで一人ディナーは寂しい。窓向きのカウター席に座った。
な・なんとメニューに、「萩の地魚直送カルパッチョ」と大きく写真入で載っていた。
迷わず!食前赤ワインと「カルパッチョ」と「イタリア風てんぷら」とパンにした。

3杯のワインと日頃食べられない贅沢な夕食と街の夜景に酔っ払う。
都会の夜風に当たらないでそのまま寝た。

by hama-no-koya | 2011-11-22 17:11 | Comments(0)
2011年 11月 21日

秋旅・・・

旅のかたちにはいろいろある
今回は、気仙沼で開催される「鳴き砂サミット」に参加すること。
二泊三日の小さい旅。それでも中身は大きな旅になる。
俺の行くべく所へ行った旅。

お昼の1時に気仙沼駅に集合し、鳴き砂の現地視察・泊し、翌日午前会議で山口に帰る急ぎ旅。
コーディネイターは、カウター越しの旅屋のお姉さん。

尾無~萩~新山口駅~~東京(秋葉原ワシントン泊) 翌日・東京~~一ノ関~気仙沼着(泊)
帰りはそれの逆走。海仕事が忙しくそれしか休めないから。
空旅も深夜バス旅も考えたが、移動は予算と時間と想いで鉄路になった。

旅装備は二泊。そこが今でも被災地なのでディパックに無理やり収める。
パッキングは、3つのグループに分けて小袋に入れてからザックに押し込む。
それとウイダー(非常食)と角瓶ポケット(酒)それに新幹線で読む本(行かずに死ねるか!)。
メモ書きノート(チケットの時間や事前情報を記入)とキャノン・イクシィと折りたたみ傘。
これが鉄路移動の装備で、履物は被災地と電車旅なので迷ったがテニス・シューズにした。
スニーカーで被災地の気仙沼が歩けるようになったと想像したから。

一人で旅に出ると、周りに大勢人が居ても旅風景の一部。
頼れるのは自分一人で、旅の最終目的地はスタート地点で無事に帰宅すること。
今度の旅にテーマをつけるなら、「自立」のような気がする。
自立するには、誰かの手助けや後押しが必要になる。

今回は、全てのチケット(乗り物・宿)を事前購入した。ビギナーの楽旅。
しかし最初つまずけば、全てを変更する怖さもある。JRならこそできる世界に自慢できる旅。
何枚もの切符は、最短時間の乗り換えで、時間に追われるトランジットな旅。
それは、「奥の細道」の芭蕉が聞いて驚くような。

それでも、私の生涯に残る旅のベスト10入り。

by hama-no-koya | 2011-11-21 22:19 | Comments(0)
2011年 11月 18日

秋祭り・・

神社の大銀杏は真黄色で田舎の誰もが秋を感じる。
なんと祭りが3日も続いた・・・

スタートは島根県津和野町の稲荷神社・・・
俺の暮らす田舎は山口県だけど・・・車で20分も走れば島根県になる。
つまり観光地の津和野は車で40分も走れば行ける。

昔から俺たちの漁師仲間は大漁祈願を地元神社と津和野稲荷様にする。
津和野には年間3回お参りしている。
昔は祈願祭が終われば直会と称して津和野で大酒を飲んだが・・・今はあまり飲まない。
仲間の好みで直会も食べる目的が主で酒はその次になった。

地元の御山神社で秋祭りが二つあった。
秋の収穫に感謝するシンジョウ祭と亥の子祭り・・
氏子農家の新米や野菜や果物が神社の祭壇に何段も供えられ祭りが行われる。
祭りの進行や形式は昔と変わっていないが・・・

昔は大勢の参拝者がいたが今では数えるしか人が集まらない・・・
祭りは神社の関係者とプラスαで行われる感じになった。
こちらの直会は酒を飲むのが・・・昔からのしきたりで今でも結構飲むが時間は短くなった。
俺は神社の総代だから当然のように酒を飲む・・・。

祭りと酒は切り離すことができない・・・
それは世界中で大小様々な祭りがあるが何処でも同じことが言えるから・・・
村祭りは村人にとって必要だと今になって感じた。

by hama-no-koya | 2011-11-18 05:44 | Comments(0)
2011年 11月 12日

レンコダイ

レンコ鯛は小型なのでお祝い膳に昔から尾頭付きで付く。
オレンジ色の鯛で塩焼きが定番で・・・祝いの鯛は日本の食文化とも言える。

餌のエビが手に入ったので今シーズン初めてレンコダイを釣りに出たが・・
潮時が悪いのか・・・、魚が居ないのか・・・半日で数匹しかつれなかった。
数年前までは20センチ・クラスが100~200匹も釣れていたのに・・・
毎年徐々に釣れる量が減ってきたが・・・ここまで落ち込むと漁師は気持ちが寂しくなる。

レンコダイは昔から結婚式の宴席料理として必ず付いていた。
過去は結婚適齢期人口も多く・・レンコ鯛は一人一匹付きだから国内需要も相当の数だった。
そんな時代も終わり・・・披露宴の減少や簡素化で・・・それに引き出物がカタログ・ショプになり・・・・
結婚式場も欧米化でドレスやケーキや洋食になり、シャンペンやワインで乾杯する時代になった。
その結果レンコダイの需要が極度に落ち込んだ・・・同時に価格も落ち込んだ・・・・。
このままだと日本伝統の鯛が付いた祝い宴席は何時かは消滅するだろう・・・。

魚にも時代のニーズがある。
シタビラメは平べったい魚なので食べる身の少ない魚で昔は見向きもしなかったが・・・
近頃は洋食に使われるのかそこそこ値段がするようになった。
魚全体の需要や消費は落ち込んでも・・・売り方や使い方で中には需要が伸びている魚もある。
しかしマグロやフグやアワビなどの高級な魚の価格は景気しだいで変化する。

食料品の小売価格は年間通じて加工品は定価があるが生鮮食料品はその日価格と決まっている。
魚は需要と不安定な供給から生産者値でなく市場値で流通する。
今日は「ウナギを食べる日」を全国設定すればウナギの短期相場があがるが・・・
食生活は魚離れの傾向だが・・・そんな中でも回転寿司屋の存在は大きい。

レンコ鯛の時代は終わった・・・しかし俺はレンコ鯛が好きだ。
生き造りの刺し身は絶品で・・塩焼きも美味しい。
それに何より見た目がきれいだから・・・。

昔から日本人は日本で獲れる魚を多く食べてきたが・・
近頃は日本に居ながらにして世界の魚を食べる時代になった。

by hama-no-koya | 2011-11-12 15:29 | Comments(0)