浜の小屋

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2011年 12月 29日

「笠地蔵」・・・

冬型の天気が続き・・・暮れの稼ぎ時に4日間も定置網漁を休んだ。
天候が和らいだ待ちに待った5日目は、4連休を取り返すような中漁でまずは一安心。
おまけに、市場の魚不足と年末相場でなんとか満足できる水揚げになったが・・・
それもその日限りで長くは続かない。

今朝は(29日)ソーダカツオだけが大漁で他の魚はあまりいなかった。
ソーダカツオは俺地方の市場価値は昔からなく、その場で海に捨てている。
食べるとそれなりに美味しいが・・・身に血アイが多く脂が強烈に強いので鮮魚として流通しない。
刺し身や焼いて食べるが、脂が濃いので多く食べるとお腹を壊すこともあるから嫌われる。
昔からダボシビと言われ歓迎されない魚。

魚によっては調理の仕方や食べ方がある。
漁師は、生きたカツオの首骨を折り血抜きして直ぐに海水氷に漬けて冷やす。
そいつを生で食べるが血アイの部分を取り除き皮も厚めに剥いで刺し身にして食べる・・・・
俺は、刺し身にネギ・ニンニク・ショウガを振り掛けてスダイダイと醤油でタタキ風に食べる。
この味は他の魚では真似ができない。ソーダカツオだけがもつ独特なマニアックなカツオ味がする。
そんな魚調理が誰にでもできるわけが無い、だからマイナー魚の食や販売が普及しない。
海は広いからそんな魚がいてもそれは自然でいいと思う。

田舎町でも魚に付加価値を付けることを一部で真剣に考えるようになった。
つまり地域産業の振興で衰退田舎が如何に儲けるかだが商品開発はそんなに甘くない。
そんな中、ここ数年で魚食普及の最大ヒットは街の回転寿司屋だと思う。
誰が考えたか食文化や経営的にみても素晴らしい発想である。
魚はファースト・フードであろうがセカンドであろうが、最後はホームへ帰る食材だと思う。
美食や経済の問題ではなく、視点は人類の食料供給としての魚になるから。
日本の国土面積は狭いが排他的経済水域(EEZ)は驚くほど広く恵まれている。
世界中が海洋蛋白資源に注目してきた。

数日で今年も終わるが漁は平年並みだった・・・
昔話、「笠地蔵」のようなあたたかな我が家の年が暮れる。

by hama-no-koya | 2011-12-29 11:58 | Comments(0)
2011年 12月 24日

漁師の年末

12月の25日前後数日は魚の市場価格が上がる。
漁師は、この時期にラスト・スパートして暮れの支払いを済ませ正月を迎える。

21日から冬場の潜水漁が解禁したが途中で海が荒れてきたのでお昼で切り上げた。
例年より水温が高いのか?資源が枯渇したのか・・・?創業(30年間)以来最悪の解禁日漁だった。
サザエもアワビもナマコも資源が極端に減ってきた。

魚はヒレが着いているので待てば回遊してくる可能性もあるが貝類には尾びれが無い。
アワビもサザエも受精卵が浮遊し幼生化すると岩礁や珪藻に付着しそこで数ミリの大きさまで成長する。
数センチなると魚などの外敵や時化から身を守るために岩の隙間や海草に付着してカモフラージュする。
アワビは年間約3cmの成長だから3年で順調に行けば捕獲可能の10cm以上に育つ。
俺が見た過去最大サイズのクロアワビは殻長約20cmで重量1kgである。
そこまで育つことは極稀で、餌場やその他の生育環境に恵まれたからだと思う。
でも、いちばんは何年も外敵のタコや人目に付かなかったからそこまで生きれた運だと思う。
アワビやサザエは外敵からの逃げ足はほとんど無く硬い殻を閉じるが天敵のイシダイやタコは襲う。

サザエも幼少期はアワビとほぼ同じように育つが自然繁殖量がアワビより数倍も多い。
だから生育個数も多くなり漁師の捕る量も多くなるが価格はアワビの1/10(kg単価)と安くなる。
潜水操業は、アワビ狙いかサザエ狙いかを絞る人もいれば、両方を狙う人もいる。
要するに目的は水揚げ金額が多いい物を獲る。
俺はオール・ラウンド・プレーヤーだからアワビもサザエもナマコも採り、たまにモリで魚も突く。
そんな感じだから水揚げランキングは創業以来下位を低迷している。

海が凪なら仕事だから冬の海に潜るが、アワビもサザエも資源が年毎に減ってきた。
いちばんの原因は漁師がそれを獲ったからだと思う。
自然界に生息する多くの生物には天敵がいて生態系のバランスが保てるが人がそれを壊している。
寒い冷たいは我慢をするが獲物がいないと寒さが倍になって体に感じる。

漁師でありながらアワビのステーキがだんだんと遠くなる。
以前は貝料理のワインを赤にするか白にするかを迷ったこともある。
寒い夜は、醤油を入れないサザエの壺焼きにシャルドネ種の白ワインがよく似合う。

by hama-no-koya | 2011-12-24 06:57 | Comments(0)
2011年 12月 20日

年末らしくなってきた。

漁村の12月は10日を過ぎると忙しくなる。
田舎では、各種団体の年度末が昔から12月になるのでやることが毎日行事のようにある。
それも長年の慣例で、年片付けの作業終了には納会と忘年会を兼ねた慰労酒を飲む。
近頃は飲めない人と交通安全と予算で缶ビールやカップ酒の途中棄権可能飲み会も多くなった。
それを俺地方の田舎では、ローカル・テイク・アウト形式の飲み会と呼ぶ。

そんな田舎飲み会の昔は・・・
一升瓶やビール瓶が集落の自前料理を囲んで当たり前のように並んでいた。
飲めない人は、会が跳ねるまで酒飲みに付き合うことになり、女性は似非仲居の状態になる。
酒飲み目線かも知れないが、そんな飲み会もみんな楽しくやっていたよな気がする。
しかし近代になってからローカル・コミュニケーションのかたちが少し変わってきた。
自治会長や長老に将軍のような権力がなくなり集落の人民が公平になった。
つまり集落会議もなんとなく議会制民主主義のようになった。
行政が集落存続のために振興した自治会制度だが、合理と不合理がうまく噛みあいつつある。

今回の自治会役員による集落道草刈納会の打ち上げメニューは醤油ベースの「イノシシ鍋」だった。
イノシシはそこらの山で獲れたもの、野菜も集落で採れた物でフード・マイレージは昔から「0」マイル。
食材の仕入れ価格も「0」円でマイレージも買い物ポイントも貯まらない地元を丸出し料理。
飲みものは、第3の缶ビールと焼酎で集落コンパが盛り上がった。
近頃の集落婦人は務めを持っているので日頃は顔を会わす機会も少ないがこの場で取り返す。
話も弾み時の経つのを忘れるが宴会の終了はみんなで後片付けをして帰る。
会場は冷暖房・水洗トイレ・食品営業可能厨房の集落公民館を利用する。

街の人から観れば、田舎のオジサン・オバサン+オジイサン・オバアサンのコンパだが実に楽しい。
これから先、何年できるか分からないがいつまでも「長屋の花見」の世界でありたい・・・。
「タクアンが卵焼きに見える・・・」そんな集落飲み会だった。

津波で流された多くの集落を見た年だけに・・・尾無集落の幸せを現実としながら複雑に感じる。
争や災害がないだけでも幸せのかたち・・・。

by hama-no-koya | 2011-12-20 05:29 | Comments(0)
2011年 12月 15日

折り返し点

俺は毎月の15日が暮らしの折り返し点と勝手に思う。
1日がスタートで5日~10日頃までが長くて辛いレース展開になり
15日頃の中盤展開で、その月が俺の暮らしにとって良い悪が予想できるから。
気持ちは毎月リセットやクリアーを繰り返す。

暮らしのポイントが高いのは、水揚げ金額だがその他天候や遊びや運勢なども入る。
いずれも自助努力効果は少なく、特に水揚は魚の出方しだいが結果になる・・・。
前半がスローなら、中盤順調、後半追い込み、これが理想のレース展開。
田舎暮らしは、同じ場所で年間に12レースの開催だが楽勝のレースはほとんど無い。
多くの人は、「田舎暮らしはのんびりしている」と思うだろうが・・・

近代の田舎暮らしはお金がかかる。
国民年金(約¥15.000)と国民健康保険税(?¥)は自給自足をしても最低限かかる。
年金は、大人が2人で暮らせば月額約3万円も支払う田舎暮らし最大の家計費になる。
俺たち夫婦は60歳を超えたから年金を掛けない。65歳になれば年額約80万円も入る予定?。
しかし俺の漁村は生活基盤が整備されているので便利だがその分だけ利用料が必要になる。
毎月の支払いは、上下水道代・電気代・インターネットとテレビのケーブル配信料など・・・
我が家は節約をあまり気にしない・・・仮に切り詰めても30%くらいの削減だろう。
もしも収入が無くなればそのように暮らすしかない。

のんびり田舎暮らしをするには仙人になるか、何かの目的やおもいが必要になる。
田舎暮らしの理想は、自分で食べるだけの魚をとって野菜を作って薪や井戸水で煮炊きだが・・・
グローバリーゼーションと生活改善で便利が田舎の日常になり、それもできない暮らしになった。
ネイティブ田舎も体力や免疫力が低下した。

衰退傾向の漁村には自治会ができ昔のように集落をみんなで維持しているが・・・
それでも2035年には俺が暮らす山口県北部地方の人口は今の半数になる。
人が減れば田舎は店も医者も道も減る。いやでも仙人のような暮らしになるだろう。
あくまでも時代の流れだが・・・・・。

by hama-no-koya | 2011-12-15 05:23 | Comments(0)
2011年 12月 12日

冬の魚

日本海の冬魚と言ったら・・?ブリと答える。
そのくらい有名魚だが俺の地方は南日本海だから年を越えてやって来る。
冬場は海が荒れるので毎日漁に出れないが・・・
それでも大敷網では何かの魚が獲れる。

今頃多く獲れるのは、ブリの今年の子供で体長は40cmくらいで通称はハマチとよばれる。
昨日は2000匹くらいいた。それに戻りカツオやサワラが多少混じる。
ハマチは比較的安い魚だが、12月になると脂も乗りブリほどでもないが美味しくなる。
ブリが高くて食えない人は、天然の肥満系ハマチでじゅうぶん代用できる。
ハマチも学名ブリであることに食べると気づく。

俺たちの大敷網は一年中操業する。
網は定期的に取り替えるがそれを張る本体のワイヤーロープやブイは年中海にある。
冬場は海が荒れるのでロープが疲労する。だからその箇所を補修点検する。
人に例えるなら予防医学のようなもの・・・
網全体をバランスをもって張り詰めたロープは一箇所が切れれば重傷になりかねない・・・
綱引きのロープが切れたら大事になる。そこまで行かななくても・・・。
問題は冬の海で凪の日が少ない。点検やブイやロープに着いたカキを落とす作業の日が限られる。
網やロープにカキや海草が付着すれば波の抵抗が大きくなり痛みやすい。
だから冬場の凪は朝から晩まで海に居る。

今朝は久々に静かな朝。
これから、新聞とローカル天気予報を軽く観てベーグルと薄めの紅茶を急いで飲んで浜に出る。
アンパンに日本茶もいいが・・・少ない時間の朝食は繊細よりも大雑把な味のほうが似合う漁師。
どんな魚がどれだけ獲れるか楽しみだが・・・それが毎日だとそう思う日も少なくなる。
それが日常で・・・逆に不漁だと期待と不安が気になる。

それでも、小野リサのボサノバを聴きながらのんびりと午後の紅茶を飲む日もある・・・。

by hama-no-koya | 2011-12-12 04:39 | Comments(0)
2011年 12月 08日

気仙沼の旅・・・(エピローグ)

午後8時過ぎ、東京発の新幹線「のぞみ」は新山口の駅に着いた。
そこから漁村まで、山を越へて車で1時間30分もかかる。
東京からは新幹線を利用して約7・8時間もかかる。そんな不便な田舎に住んでいる。
そこが俺の帰る場所で居場所になる。

旅の目的は、被災地の気仙沼で開催される「鳴き砂サミット」に出席すること。
2泊3日の短い旅。行くべき所で必然にその地へ行ったような旅。
もしも、62歳の男が今回の気仙沼に行っていなかったら、
その男は良い時代に生まれ、良い時代を過ごし、良い時代に死ぬと一人で勝手に思う。
「たった一つの旅が人生を変える。」
大女優アンジェリーの言葉だがわかる気がする。

先日、スイス人のバックパッカーが観光地でもない漁村の我が家に泊まった。
俺が暮らす田舎の美しさは、これまで観たり体験したことがない・・・、ビューティフルだ!!
日本の田舎はどうしてこんなに美しいのか?
俺の答えは、私はスイスに行ったことがある。スイスの田舎はどうしてあんなに美しいのか?
の後で、「あなたのこころが美しいから・・・」と思ったが、そこまでの言葉が出なかった。
それは、旅人の感受性や洞察力のようなもの。

スイスから来た旅人は、東日本大震災の前までスイスの大手旅行エーゼントに勤めていた。
震災後は、スイスから日本への旅行者がいなくなった。
自らの旅で、日本が安全で美しい国だと世界に証明するため稚内から鹿児島まで歩いている。
仕事のためでも、日本のためでも、誰のためでも、巡礼でもない旅。
歩く旅は、速度が遅いから日頃見えないものが見える。

気仙沼旅は、日本人が同じ日本を旅するものだがとても意味深いものだった。
芭蕉の句「旅に病んでも、夢は枯れ野を・・・」。空しさと希望の両方を感じる。

今年の暮れは、「ベートーベンの第九」でなく、
「マーラーの第二」復活を聴いて終わる。

(スイス・トーマス・日本歩く旅・ウェヴ検索 ・11月29日前後が我が家)

by hama-no-koya | 2011-12-08 17:49 | Comments(0)
2011年 12月 06日

帰り道

昼前に気仙沼の駅から一ノ関行きの汽車に乗る。
来た道を帰る旅なのに、なぜか東京に行く旅。
旅での乗り換えや補給は、一見不便だがそれも楽しい旅。
ヨーロッパへ行く途中、アンカレッジで夜明け?のうどんを食べたことを思い出す。

気仙沼が始発なので好きな席が選べた。先頭車両の前が見える席に座る。
歩いて列車の踏み切りを渡るとレール幅は広いが、列車で走ると不安になるほど狭い。
列車は、橋を渡りトンネルを抜ける。列車を待つ踏み切りを横目に見て走る。
出入り口のそばの席は、駅に着けば乗客が乗り降りするから土地の暮らしを感じる。
無意識に運転席の脇に座った。前を見ながら走る列車が自分の気持ちと重る。
ローカル線の車両は、機械らしい機械が動いているようで楽しい。

乗り換えの新幹線一ノ関駅のホームは、平泉の帰り客であふれていた。
世界遺産の平泉は、以前そこに何があったかを想像する感性旅。
旅には色々な目的がある。少数だがシリアスな旅はこころの角に何か残る。
40年くらい前に平泉を垣間見た。その時は芭蕉の句と同じだった。
過去の跡だけでも大切にすれば大きな遺産になる。
世界遺産の経済効果は素晴らしい。

東北新幹線の往路は「はやて」で、復路は「やまびこ」だった。
ANAの国内線には「翼の王国」が座席に置いてある。やまびこには「トランヴェール」置いてある。
JRもやるな!と思いながらページを開く。エッセイ・広告・路線図で空と鉄路のちがい本。
街で見るタダ誌とちがう。さりげないサービスが乗客にとっては嬉しいもの。有ると無いの大違い。
その中で、角田光代の旅エッセイ「列車に向かって手を振る人たち」が良かった。

帰りの東北新幹線は、気持ちの速度が早い。いつの間にか東京駅に着いた。
新幹線は地上を滑空する飛行機のようで、ハイ・テクノロジーで機械らしくない。
乗り換え時間は15分だった。定刻到着で次の列車に無事乗れた。
JR新幹線が世界に誇るオン・タイム!!

by hama-no-koya | 2011-12-06 04:35 | Comments(0)
2011年 12月 03日

夜明け・・・

気仙沼の朝は早い。
俺が暮らす海辺は本州の西の端、気仙沼は東の端にある。
日本列島は東西にも長いのか、岩手の夜明けは山口より1時間は早い。
所が変わっても漁師は、いつもの時間に目が覚める。

外の薄明かりで目が覚めた。抜け駆けで夜明けの散歩に出る。
ホテルの坂道を下る。津波で被害した建物の先に気仙沼港はあった。
漁港の市場は、日曜日で休みなのか閑散としていた。

岸壁は水面近くまで沈下していた。大型漁船がところ狭く並んで係留されている。
カツオ釣りの船、集魚灯が目立つサンマ網の船、マグロの延縄船。
船籍は、宮崎あり静岡あり富山あり、方々からの漁船が集まっている。
船尾では、漁船員たちが美味しそうな朝食を囲んでいる。

漁港から少し歩くと、気仙沼大島へ渡る連絡船が発着していた。
船に乗れば、米軍のオペレーション・トモダチのあった島に行ける。そこにも鳴き砂の浜がある。
海辺から少し離れて閑散とした元市街地には、巨大な青い船が置き去りに・・・。
早朝で人が歩いていない。現実が想像を超え複雑な心境に変わる。
あれから半年が経つ。
気仙沼の朝は静けさの中にあった。

鳴き砂会議は、私たちを受け入れた地元の心にひびく言葉から始まる。
津波被害のあった福島・宮城・岩手の各浜から鳴き砂の現状報告。
各浜とも一時は大量の漂流物が押し寄せたが、現在は掃除をしたので以前の浜辺に戻った。
「砂は鳴いている」。未来に残せるだろう。
福島・小名浜は、「砂は鳴くが目に見えない汚染を心配して砂遊びの子供たちは今でもいない。」
砂浜でなく、破壊した原子力発電所の建屋が頭の中に浮かんだ。
これには、みんな返す言葉がなかった。

その日の内に、山口に帰るので会議を途中で退いた。
大波が引いた傷跡の街を通って駅に着いた。

by hama-no-koya | 2011-12-03 16:34 | Comments(0)
2011年 12月 02日

気仙沼の宿

気仙沼の宿は、港が見える丘の上にあった。
数階建ての立派な建物だが、3月11日から5月頃まで休んでいた。
建物には津波の被害は無かったが、あの頃は電気や水が足りずそれに街も悲惨状態。
今は、館内に入ると観光ホテルらしく、外の出来事を忘れさせる普段の歓迎。
そこで働く人たちは、あっさり系の気持ちがこもったおもてなしだった。
ホテルの仕事でありながら、原石のかがやきを感じるような。
そんな中で、「全国鳴き砂サミット」が開催された。

夕食は交流会で全国各地から集まった「鳴き砂仲間」と共にした。
「魚食健康宣言」と「スローフード宣言」都市気仙沼ならこその料理が並んだ。
俺は漁師で60歳を過ぎたから魚は人並み以上に食べてきた。だから魚の味は分かる。
この時期限定の「戻りカツオ」は、5月頃の「初ガツオ」に比べ脂が乗り太っている。
大型のカツオが、刺身で惜しみも無く出てきた!!

気仙沼の生ガツオは、水揚げも量も金額も日本一。食べると口に入れた瞬間に旨い。
10月に枕崎(鹿児島)と萩(山口)と尾無(自宅)でカツオの刺し身を食べた。
どれも美味しかった。その対決で一番を着けるなら、気仙沼のカツオに投票する。
他にもビンナガかキワダか分からないが、マグロの中トロと背中身の刺し身があった。
それも山口の我が家で食べる同種の刺し身より、美味しさの格が上だった。

その後は部屋で、各地の海や砂浜の話をした。
京都の網野から来た漁師と話した。山口の海と同じで「魚の資源は減ってきた。」
原因は漁具の近代化で、漁師が魚を獲りすぎた?と海洋環境の汚染を含む変化だろう。
いずれにしても漁師は、このままだと残念だが先行きに希望はない。
厳しい言い方かも知れないが、漁業規制はできる。しかし海洋環境は全人類の問題になる。
それを力まず、分かりやすく、広く伝えることが出来たらいいと思う。

気仙沼港の夜は、岸壁に数隻の大型漁船が明かりを灯し、
店を津波で失った店主たちが集まり開店した屋台村もあり、寂しい感じはしなかった。
その夜は被災地を感じることなく旅人は深い眠りについた。

by hama-no-koya | 2011-12-02 22:35 | Comments(0)