浜の小屋

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2019年 01月 26日

漁村に住みついたアヒル

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村に住みついたアヒル。
尾無の漁港にやってきて今年が三年目の冬になる。
何処からきたのか海を泳ぐアヒル。
大水で川から海へ流され、さまよいながらたどり着いた漁村。
たった一羽で日々を過ごす。

いつも仲間はいないが、冬場になるとたまに野鴨がやってくる。
鴨だけがアヒルの友達。
カモメは年中いるが、アヒルとは仲が悪い。
カモメがアヒルの領域に近寄れば本気で追いかける。
まぎれもないカモメの領海侵犯。


海辺で暮らせば、穏やかな日暮れもあれば荒れる日もある。
のんびりもあれば、厳しさもある。
何を思うのか、荒れた海で果敢に泳ぐこともある。
自然の中で生きている。

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アヒルは大手損保会社やアミューズメントの看板キャラクターでもある。
その役割や意味がなんとなくわかる気がする。
寒空に、漁村に流れ着いたアヒル、健気な生き様を感じる。
感性でも無性でもない気持ち。


朝から雪混じりの冷たい雨が降る海辺の村。
寒さと可愛さとたくましさ。
そこで暮らす意味。

アヒルは人々を幸せにする。










by hama-no-koya | 2019-01-26 11:28 | Comments(0)
2019年 01月 14日

冬の光

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この冬になって雪が降ったことがない海辺の村。
とは言っても季節は冬。
鉛色の雲が垂れ込み、時おり冷たい雨が通過する。
これからが冬本番の空模様。


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冬なのに、たまに穏やかな夕暮れ時もある。
陽が落ちる頃、汽車の橋を通過する一つ箱の車両。
陽が向こう正面になると村の赤い瓦屋根が影って見える。
村人が曰く、線路の名前は山陰本線。

冬の光は気ままな現象。


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我が家の夕暮れ。
美しいと思うがどことなく寂しくもある。
冬の夕暮れは太陽が南に位置する。
この頃を境に夕暮れの時間がだんだんと遅くなる。
暦の上は節分までが冬。


春の兆しがする、やわらかい光の冬景色。
束の間でも幸せな田舎暮らし。









by hama-no-koya | 2019-01-14 05:15 | Comments(0)
2019年 01月 09日

冬の海辺

不定期だが年間数回、集落周辺の浜掃除をする。
前回は11月に村の漁師仲間と秋の漂着ゴミを回収した。
その翌日から徐々にゴミがたまる海辺。
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海岸のゴミは人が地道に拾って集める。
大きさ、形、重量、材質、前の使用目的、何から何まで違う。
中身が半残りの容器まである。
再利用できる拾い物や金目のもは何一つない。
厄介なものばかり。
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11月に約2時間の作業で集めたゴミの山。
集めたゴミは町役場が引き取るがその先どうなるのか・・・。
おそらく最終処分場行きになるだろう。
ゴミ処理にはお金がかかる。


夏場のゴミと冬場のゴミは多少異なり量も違う。
冬場は何かのポリ容器が特に多い。
日本海に面する海岸は北西の季節風を真面もに受ける。
太平洋側はそうでもない。
浮遊のゴミは海流や波風に流される。
地形により、場所によってはゴミの吹き溜まりになる。

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海岸にゴミが漂着するから海のゴミが減る。
海に沈むゴミはどうなるのか。
終わりのない「いたちごっこ」の浜掃除。
これからが冬本番。


田舎で暮らすからには夏には草を刈り、
浜の掃除もあれば、たまには道端の空き缶も拾う。
延々と続く村のメンテ・・・ 。








by hama-no-koya | 2019-01-09 04:49 | Comments(0)
2019年 01月 05日

新しい年

大晦日に聴く音楽がある。
前の年は『春の祭典』で、今回は<椿姫>だった。
あくまでもCDの世界である。
選んだ理由は暮れに田舎町で素晴らしいソプラノを体感したから。
その歌声は聴衆の想像をはるかに超えていた。
若き歌姫が近々CDデビューする。
『野々村彩乃』のCDと先にある円熟期が待ち遠しい。


今回の年越しは最高峰のソプラノ『アンナ ネトレブコ』のCD [sempre libera]。
その指揮はあの「クラウディオ・アバド」。
歌劇『椿姫』から「花から花へ」のタイトルで、歌詞を深読み聴くとトランス状態おちいる。

意味不明・・・「不思議だわ!ふしぎだわ!」。
「私はいつだって自由」。
俺には高いEフラットの凄さは知らないが、想像の世界で歌姫が高級な娼婦と重なる。
歌っている歌詞は、わからなくても情景から大人心が伝わる。
女の気持ちでも、男の気持ちでもないもの。
それは、冷たくも暖かくもある。
感じるやるせなさ。


今回は聴くアンプを変えてみた。
ラックスマンとトライオードは2台とも真空管のプリメインアンプ。
オンキョーはプリとパワーのセパレート。
真空管は趣味でもないが単なる長年のご愛顧から。


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どの組み合わせが「ベスト・オブ・アンナネトレブコ」と選ぶことができないものがある。
同じ一枚のCDだが、機種によって微妙に変わる歌姫の年齢のようなもの。
オケを指揮するアバドと歌うネトレブコの緊張や気持ち。
洋物だが、どことなく一期一会。

ヴェルデイの時代再生や人の温もりは真空管が似合うと自分勝手に思ったが、
作曲・演奏・収録・制作・・それは自分好みで機種を選べない。
それぞれの人や機器に個性や表現力があるから。


これこそが年明けから、「無意味なうわごと」
『自分好みで自由にすればいい。』

とおまわしだが、気がつけばなんでもないこと。









by hama-no-koya | 2019-01-05 07:40 | Comments(0)
2018年 10月 07日

大敷網の修繕

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網の修繕はいろいろ。
大敷網は定置網なので、長ければ数ヶ月の間は海の中にある。
その間に波は立つし繊維も疲労するので網の破れも生じる。
網破れは大小様々で、修繕は網目の小繕いから新網の移植まで幅広い。
その修理作業は簡単そうでも、やれば時間もかかるし複雑。
何十年経った漁師でも、網の切合せや裁断ができる人は限られる。
漁師と職人を持ち合わせた貴重な監督兼選手。
年月の積み重ねが一人前の網師を育てる。

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破れた小穴を修繕して移植する新しい網を縫い合わせる工程。
竹で作った網針に糸を巻、小破れを網目に修復する。
繰り返しでリピートな作業。


旅先のナポリで地元漁師と網の修理をしたことがある。
網針は金属製だったが網の修理方法は日本とほぼ同じだった。
言葉は通じなかったが漁師気が投合した。
俺のことをジャポネと呼び地中海調子で気さくな旅幕だった。
ロープの結び方や網の修繕はワールドワイド。
大切なものは旅人の気持ち。
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網の修理が完成した時はホッとする。
途中で間違いがあると、最終工程の網目が三角や五角形になる。
定置の網目糸は四か所の十字で交わるから。
これが本物のネットワーク。

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周りには分からないが、業界には専門の用語や知識がある。
旅人はそれを垣間見るだけでも面白い。
分からないから探し想像する。

秋晴れに網の修繕をする漁師たちがいる。
珍しくもないが大切な風景。






by hama-no-koya | 2018-10-07 09:21 | Comments(0)
2018年 09月 30日

家のそばに小川

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山と海の境界にある漁村集落。
古い赤瓦の民家が入り組み、軒先きがそこらで重なる。
先人たちは限られた空き地に暮らしの家を建てた。
中には空き家もあるが、古くても家として現役で残る漁家。

築百年は経つと思う古民家の我が家。
玄関先に小川が流れる、生まれた家で何十年も暮らす漁師。
家を建て替えるお金が無かったから。
潰しのきかない地道な暮らし。


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古くて不便な家の周りをいじってみた。
旅先で出会った風景を思い出しそれを自分のかたちにした。
図面も知識もなく、ありきたりの手前道具で。
材料はホームセンター調達した。

玄関先にある上下水管やボイラータンクはむき出しに。
パリで見た、完成しても工事中のような美術館の建物が浮かんだから。
川の小滝は、東京にある椿咲く庭園荘。
小橋は無理やりクロードモネで、手すりは津軽の橋を真似た。
無茶苦茶で、素人の思いつきを形にしただけ。

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 なんとなく高知県の北川村へ行きたくなった。
 遠くて過ぎてきた旅先の風景。
 告白しなければ誰も気がつかない自分だけの世界。
 意識しない寄せ集めの美しさ。
 
 それも漁村の風景。
 


by hama-no-koya | 2018-09-30 18:34 | Comments(0)
2018年 08月 23日

食べたことのない魚

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普段見かけるが食べたことのない魚がいる。
浜で通常は食べないから。
こいつは、3ノジ。
表皮は厚皮のカワハギのようで内臓は死後にだんだん臭くなる。
時間が経てば限度を超えた磯臭さ。
意味もなく食わず嫌いの魚。

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こいつも浜では食べない。
鱗が鯉のように大きくて体に密着している。
とにかく解体が面倒である。

あえてこの二匹を食べることにした。
二種類とも刺身で食べた。
三枚下ろしにすると、どちらも白身で美しい。
生き締めならいける。
鮮度が落ちればフライにするぐらいだろう。
食ったことはないがナイルパーチ?

3ノジは結構いけるがベラは味気がない。
例えようがない魚味。
どちらも生きシメだから食えたが鮮度が落ちれば如何かな?
昨今はグロな深海魚も食べる時代。


これまで食べなかった理由は周りが食べないから。
風評でもないがマイナーな魚たちがいる。









by hama-no-koya | 2018-08-23 16:02 | Comments(0)
2018年 07月 17日

梅雨明けの猛暑

20年前に福井県の被災地で15日間過ごしたことがある。
あの時は寒さの中だった・・・
今回の呉市(広島)は暑さの中だった。

現地に行っても何もするここができなかった東日本の気仙沼や福島の海辺。
自分にできることが何かあるのではと被災地に出かけるが・・・
自分の判断と気持ちからだろう。

広島から呉につながる道は車で混んでいた。
やっと目的地に到着すると、その場所に避難○○が出たのでVは入れない。
その先にある市役所に移動してVの受付をする。
エントランスは、V希望が集結していたが受け入れ対応は手際良く不安や混乱は無い。
受付順に10人の(例チーム36:女子3・男子7)班編成になる。
リーダーをVコーディネーターが決め、各自が所持品を装備して現地に向かう。
現地に入るとチーム36のキャンプ地(日陰の小休場)を決める。
作業は水害の片付けで、主は居住地の泥出しだった。
熱さの中だったが、現場マニアルもよく適度なクール・ダウンもあり順調に進む作業。
熱気や、はやる気持ちを抑え冷静になる。(怪我や疲れは自分持ち)
班長は30代?だったが、チーム36は混成だが理想のチーム・ワークだった。
「女子にスコップ」は大変だが、何故かたんたんと・・・
猛暑作業は疲れる手前で休む。

時間も過ぎ作業は無事終った。(Vの終わりは、我が家に着いた時)

呉市役所に帰り、チームが解散するときに思った。
初対面で私語を交わすことも無かっが、互いは仲間を信頼していたと思う。
それぞれの考えで被災地に集まる身知らずの老若男女。
短い出会いにも達成感や意味はある。

被災者に言葉をかけることも無かった・・・
お役に立てたか少しばかりの泥出しかできなかった。
しかしどこの現場に出かけても感じるものがあり心残はあるものだ。
急ぐことも無理をすることもない。
目的地に到達するには乗り物を乗り継ぐが、最後の一歩は自分の足で歩く。
どこかで聞いた古い言葉を思い出す。


猛暑の中、仲間とわかれ間際に感じたさわやかな風。
そこに出かけてよかった。
チーム36と呉のみなさんお世話になりました。


ps
「浜の小屋」地方の被害状況
山陰本線(一部不通)もよりの宇田郷駅は代行バス運転です。(20日開通予定)
定置網に川からの膨大な流れ物(流木その他ゴミ)が漂着しているので暑い中、
回収に手間をかけています。




by hama-no-koya | 2018-07-17 11:18 | Comments(0)
2018年 07月 07日

早咲きのヒマワリ

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梅雨に咲くヒマワリの花。
早く咲いたことを反省しているおもいはない。
表情は雨を楽しんでいるようだ。
青空を呼び寄せるように雨に打たれる黄色い大きな夏の花。
夕べは漁村に梅雨前線の大雨が降る。

何年か前に『遅咲きのヒマワリ』を観た。
それは今で言う地域おこし協力隊のようなテレビドラマだった。
四万十下流の佐田に咲く野良のヒマワリ。
想像以上に川幅は広く、水はゆったり平面で流れていた。
大川に架かる、細長いらんかんの無い沈下橋。
その橋が旅の始まりだった。
いくつもの沈下橋を渡っては戻り、山道を津野まで遡上した。

漁村のヒマワリで思い出す四万十の旅。

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そのむかし有楽町で観た映画の「ひまわり」。
群生のヒマワリも見事だが、雨に咲く二本だけのヒマワリもいい。
歌にもある、いつもは憂うつな雨も・・・
早いか遅いか時期になれば各地に咲くヒマワリ。
アジサイの紫とは想いがちがう黄色。


年を越えて重なる思い。
なんだか梅雨明けが近い予感がする。











by hama-no-koya | 2018-07-07 14:40 | Comments(0)
2018年 06月 30日

マイナーなカツオ

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コイツの名前はハガツオ。
名前のとおり歯が鋭い。
地元ではキツネシビとよばれている。
名前の言われは鼻先が長いのか、ホンガツオが化けたのか・・・
食べごろは初夏と晩秋の二回ある。
夏ガツオは脂のノリが今一歩で戻りガツオに比べると旨味が落ちる。
それでも魚体内に季節の味が潜む。
俺流は刺身にニンニクのスライス・小ネギ・ショウガをまぶして食べる。
こだわりはレモン汁を多めにかけるぐらい。
おいしいが、決め手のないざっくりした引き分け味。
焼酎の湯割りが似合う。


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コイツの名前はソーダカツオ。
ご当地ではダボシビ。
秋には多く獲れるが、初夏は少量だが成長盛りの小型魚が獲れる。
今回は平ソーダでなく、身に血合いの多い丸ソーダ。
たまにソーダ節に加工されるが、丸ソーダの市場価値は無に近い。
量がまとまれば買い手もつくが少量だと廃棄か一部が自家消費になるぐらい。
あえてこの時期に相手にされない丸ソーダを生で食べる。
意味は無いが独特の食味があるから。
食ってなんぼの世界。

数年前に四国の旅で知った魚味。
初夏に丸ソーダカツオを好んで食べる土佐の地人。
それを知って自家消費する一人の長州漁師。
周りは誰も食べないソーダ鰹の刺身。
地元では、昔から夏ソーダは食べないと決めつけている。
秋になれば多少は食べるのに・・・

カツオの刺身は鮮度が良いほど美味しい。
船上で魚の首を折り、活き締めと血抜きをする。
同時にエラと内蔵を獲る。
魚は直に特殊な氷(スラリーアイス)の水槽に入れる。
見た目も食感も新鮮そのもの。
知る人だけが知る、生で食べるソーダ鰹の味。
鮮度が良ければ、市場価値の無い丸ソーダも食べれば美味しい。
舌触りのいい、潤いのあるなめらかな食感。
飾りの無い幸せな漁家の夕食。



同じ魚種でも季節によって微妙に味が変わる。
カツオにも夏には夏の味がある。
季節は変わり目ゆかたを着るにはまだ早い。









by hama-no-koya | 2018-06-30 11:36 | Comments(0)